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記事番号 【No.6】
投稿日時: 00/12/30(土) 11:21:29
タイトル: Mail#133 科挙
コメント:  最近出た司馬遼太郎さんの全講演集を読んでいるが、司馬さんというフィルターを通って抽出された歴史のエッセンスには、新鮮な驚きが多い。なぜ今まで、司馬さんの作品に触れなかったのかと悔やまれる。
日経新聞に、堺屋太一氏が、日本の官僚は、試験という競争を経てきているため、簡単な問題から片付け、難しい問題は後回しにする傾向があり、そうしなければ受験競争に勝てないというような主旨のコメントがあり、なるほどと思ったことがある。
 そして、試験の弊害を歴史的観点から見ていたのが、司馬さんである。
ブラックマンデー(1987年10月19日)の翌日、東京の朝日カルチャーセンターで、「文明と文化」という講演が行われた。その中で、文化は精神の酒であり、合理的な説明が出来ない慣習のようなものが多く、それは思考停止をもたらす一方、文明とは誰もが参加できるものであるという主旨の話をされている。
講演の後半では、中国と日本の歴史を紐解かれ、広大な中国を制御するべく生まれた中国文明の一つが「科挙」であり、中国でも陸続きの朝鮮でも、「科挙」は実利そのものであり(汚職役人でなくても三代続くくらいの財産が残った)、アジア的停頓がここから生まれたと看破している。
 司馬さんによれば、江戸時代に日本は、中国製の朱子学は国家の学問としたものの、幸い科挙はなく、自由に研究する人が出たためその「毒」を強く受けることはなかったようである。そして、朱子学の虚妄性を見抜き尽くし、当時の官学を、「物事は複雑であるから、正義が正しいという価値判断ではなく、その内容や原因や影響などをよく見て判断すべきだ。」と批判したリアルな目をもった偉人・荻生徂徠の「度胸」が後世に引き継がれることはなかったことを非常に残念がられておられる。
 以下に講演の終盤部分を原文のまま、引用する。
「ヨーロッパが勃興してアジアへやってきて、アヘン戦争が起こったりするのは無理はないですな。すでに中国は朱子学という、いわば「毒」をずっと飲んできたのですから。
ところが19世紀になってイギリスやフランスは中国を知るようになり、その官僚制度にほれぼれしてしまいます。秀才を登用する制度だと評価を受けた。すばらしい文明だということで、イギリスもフランスもそれなりにまねている。そして日本もまねてしまいます。しかもなぜかストレートにまねてしましました。
 あれほど科挙の弊害から免れてきたのですが、明治になって高等文官試験ができ、戦後は国家公務員上級職試験ですか、これは科挙ですね。海軍、陸軍大学校も科挙の試験ですね。受かった人が順調に偉くなって、大将になる。成績が悪くても少将くらいにはなれる。そうして東条英機になれる。
薩長藩閥がそろそろ寿命がきたころに、試験制度の官僚制度をつくった。中国的なマンダリン(大官)ができあがり、彼らが国家をめちゃくちゃにしてしまいました。
昭和になってからの官僚、軍人で国家に責任を持つ者はほとんどいませんね。愛国、愛国と言いながら、結局は自分の出世だけでした。
 満州事変や太平洋戦争を始めたらどうなるのか。世界のリアクションはこういうふうになります、と気づいた人も多かったはずです。ところがごく一部の人を除いては、出世にかかわるから黙ってしまった。
明治維新でできあがった国家を15年ほどでつぶしました。あれは高等文官試験、陸軍大学校および海軍大学校の合格者たちが国家をつぶした。科挙がつぶしたのです。
 (中略)
 文化は特殊で非合理なもの、文明はだれもが参加できる、合理的なもの、普遍的なものと言ってきました。文化が文明を元気づけることもある。その逆もありましょう。一枚の紙の表と裏であり、どの時代の、
どの民族にとってもかかわりの深いことなのです。」